金の鬣揺らして

思うことを、思うままにつらつらと

ジャニーズの入り口

なんで私がジャニオタになったのか
考えてみることにしました。



私のジャニーズの入り口は
1つ上の従姉妹です。


あんまり詳しいことは覚えてないけど
小学生のときにYa-Ya-yahやJr.の
写真シールを見せられて、
名前を覚えろ、どれがタイプだ?と
教育(?)されていた、と、思う。たぶん。
鮎川太陽がすきだと言っていた、気がする。
…たぶん。
どうも記憶が曖昧です。






中学生になり、その従姉妹がいつの間にか
関ジャニ∞にはまっていた。
1つ上の従姉妹は大倉担、その姉の
4つ上の従姉妹は錦戸担で
すばるくんもすき(だったと思う)。
どれがすき!?と問い詰められ、
そこで苦し紛れに
横山裕を選んだ覚えがあります。
なんだか2人と同じ人を選ぶのは癪だった
っていうのもあるから実質5人、
というか4人の中から選んだ気がする。


従姉妹と家が近くよく会ってたこともあり、
気がつけば、好きやねん、大阪。
関風ファイティングも
∞SAKAおばちゃんROCKも
ズッコケ男道も振りを
教えられ踊れるようになっていました。


ジャニーズのコンサートには
メンバーごとの団扇やポスターが売ってて
それの誰の写真うつりがどうだとか、
メンバーカラーがあるんだとか、
シングルCDにおまけがついてて
それを揃えるとなると何枚も同じCDを
買わなくちゃいけないとか、*1
ジャニーズってアイドルだけど
ライブで漫才とかやるんだよって
DVDを見せられたりとか、*2
今度大阪までコンサートのためだけに
行くんだとか、
とにかく私の知らないジャニーズの世界の話を
延々とする従姉妹。



最初は「ふーーん」と聞いていただけの
私でしたが、だんだん羨ましくなりました。
従姉妹2人の話に加わるには
関ジャニ∞のことが分からないとだめでした。


しかし、そこで私は関ジャニ∞には
ハマりませんでした。
(な!!ん!!で!!と
今でもちょっと後悔します)
よくわからない謎の意地をはったのです。
小さい頃は2人の従姉妹の真似をして
仲間に入れてもらうのがすきだったけど、
この頃の感情としては、
ただ真似をするのもなんだかな…
でも楽しそう…仲間に入れてほしい…
という当時の私にとっては
なんとも複雑なもの。
(これは関ジャニ∞の中で誰が好きか?
という話をしたときにもみられた
現象です。同じはなんだかなあ…
という謎の感情。)





そこで私は関ジャニ∞ではない、
ジャニーズのアイドルを好きになろうと
思いました。
完全なる真似ではない、けど
従姉妹たちと近いことをしたい。



そこで年齢も関ジャニ∞と近い
嵐に目をつけたのです。



よし、嵐だ!となってから、
完全に顔だけで櫻井翔が好き、と
言いはじめました。
いわゆる“顔ファン”です。
たぶん花男2の頃くらい。


たぶん、なのには理由があります。
私は両親の方針により
小学生の間は9時には就寝しなければ
ならない生活を送っていました。
中学生になり夜寝る時間は
多少遅くなったものの、
吹奏楽部に入ったことと
塾に通っていたことにより
帰宅、ご飯、お風呂、寝るの
サイクルを繰り返していました。
つまり、テレビをあまり
見ていなかったのです。
ドラマもバラエティもほとんど
見ていませんでした。
ごくせんも花男も水10も見たことがなくて
友達の話題についていけないことは
しょっちゅうありました。
まあこの話はあんまり関係ないから
このくらいでやめときます。



嵐がすきだ、櫻井翔がすきだ、と
意気揚々と従姉妹に伝えたところ、
「嵐ね!かっこいいよね〜!」
よし!認められた!と思いました。
お小遣いがなかったため、
CDやDVDを買ったりFCに入ったりは
できませんでしたが、
インターネットの使い方を学んだ私は
手当たり次第に嵐の動画を漁りました。
顔だけでなく、櫻井翔の内面を知り
より好きになりました。
よし、やっと従姉妹と対等に並べる、
そう思いました。


しかしその頃、従姉妹の関ジャニ∞熱は
徐々に冷めてきていました。
…あれ?おかしい。
私はいまこんなに嵐が好きなのに!
従姉妹はジャニーズの話を
しなくなっていました。

嵐の魅力に気がついて
まんまとハマったはいいが、
経済力がないため
お茶の間で応援するしかない
嵐ファンとなった私だけが
残りました。


たぶん続く。


*1:今になって考えるとたぶん関風ファイティングのミサンガのことだと思う

*2:「Excite!!」の山田の手紙